Akira Matsumoto's profile

ESUJ 2014: Transforming the Debate into a 'Show'

「ディベート」というと、そこはかとなく難しく、地味な、とっつきにくい物好きのための活動という印象を持たれがちだった。特に英語ディベートとなるとなおさら注目を集めることは実に少ない。
ディベーター自身の認識もそんなところで、あまり世間様に向かって自分たちのやっていることをアピールしようという雰囲気ではなかった。部活動の新入生の勧誘の際に誘い文句を考えてみるぐらいなもので、外向けのメッセージなど入学のシーズン以外ではほぼ聞かれない。
 
ディベートは、実のところやってみると案外面白いもので、スリルと刺激に溢れた「スポーツ」だ。そうして少しずつ "ハマった" 人達が集まって、競技人口も増えてきている。一方で、殻に閉じこもりがちな性質はなかなか変わらず、 認知は上がらない。
 
このあたりの意識の低さはもったいない、とわたしは思う。英語を使うこと。社会の問題を考えること。意見を伝える努力をすること。ディベートにはこれだけの要素がある。事実、大学でディベートに携わりその後「グローバル人材」として活躍する者は数多い。
そうでありながら、ディベートは世の中ではあまり注目されない。活動への外部からの支援もごくごく僅かだ。
 
そこでディベーターたちにディベートを「カッコいいもの」と自覚してもらいたいと感じた。そうして、大いにディベートコミュニティの外に誇ってほしいと思った。
 
それをデザインの面から行ったのが、このプロジェクトだった。
まず大会のロゴを作った。中心的なイメージとなるものが必要だったからだ。
 
かつての大会は実に簡素なものだった。メールで大会の開催通知が届く、参加手続きをする。当日行くと文字だらけの大会パンフレットをもらう(出場チームのリストが掲載されている)。進行につかうスライドはたいてい無地の背景に箇条書きだ。そうして淡々と試合が行われて、勝敗の発表のたびに歓声が上がって、大会は終わる。
 
もちろんこれでもディベート大会としては当然成立はする。が、これではあまりにも無味乾燥だ。もう少し「ショウ」としてとらえてもいいんじゃないか、と考えていた。
 
告知に、ポスター風の画像を作成して公開した。
 
単に大会の日程を伝えるだけじゃなくて、何かメッセージを加えようと思った。
 
大会に出る意味なんて、普通は考えない。ディベーターたちの文脈の中に置いてみることで、何かが見えてくると思った。この大会が人生においてどんな意味を持っているのかと想起させたかった。
 
たとえば、夏の高校野球などの競技には強い意味付けをさせるしかけがある。甲子園っていう夢が中心にあって、頑張る。そういうのをドラマにしたものがテレビとか小説とか漫画とか、世の中にはいくらでもあるから目標への意識も再強化されていく。だからこそ夏が過ぎた後でも、人生において強烈な影響があった3年間だったと振り返ることができる。
 
そんなことを、ディベートでもできたら。
自分で気付いていなくても、今一生懸命になっていることはとてつもない意義があるということを、感じてもらえたら。
もう一つは、ディベートから離れていった者たちへのメッセージ。引退して、卒業して、働いて…といううちに遠くなったディベートと、もう一度出会ってほしい、そういう気持ちだった。
 
競技は選手としてだけじゃない、観る側でだってよい。むしろ、ショウとして成功している競技は観る側の層が分厚くなっているものだと思う。
 
このポスター風告知のシリーズは、思わぬ反響を呼んだ。
SNS 上でシェアされ拡散された結果、ディベートコミュニティ以外からも反応を得た。
赤い斜めのライン。
単純で分かりやすい記号を、大会中一貫して使用した。統一感あるイメージを演出することを狙っていた。
 
 
配布されたハンドブックより抜粋
実際に利用されたスライドより、閉会式での一枚
コンセプトのブレがないよう、スタイルガイドを設定。国内のディベート大会では初の試みだった
ESUJ 2014: Transforming the Debate into a 'Show'
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ESUJ 2014: Transforming the Debate into a 'Show'

Series of creative works for a debate tournament (ESUJ University Debate Competition 2014)

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